大学入学して1年間は卓球部と野球クラブに在籍していました。最初の1年間はクラブの掛け持ちはOKで、2年生になったら1つに集中するという暗黙のルールがあったからです。
野球はとても楽しく、先輩には可愛がられ、仲間ともワイワイやっていたのですが、1年生が終わろうとした3月に卓球部の5年生、6年生の2名の先輩から呼び出されました。
「実は3,4年生が仲が悪く、結局3,4年生全員がやめてしまったんだ。おれたちはもう実習と授業でクラブ活動ができないから2年生1名と鈴木たち1年生だけが頼りなんだ」と言われました。
その時、自分は野球がやりたいから卓球部をやめさせてください!と言おうとしたのですが、もう1人の同級生が「先輩方にはお世話になったから、鈴木と俺で一緒に盛り上げよう!」と突然言われ、急転直下卓球を続けることになりました。
後で聞いたことですが、当時不人気だった卓球部には1年生が残らないのでは?と危惧した先輩たちが、財布をピーピーさせながら、私たち1年生にいつもご馳走してくれていたようです。
きっと目をつけられ、囲んでくれていたんですね!(^^)!
そんな感じでしたので、私自身も卓球へのモチベーションがなく、健康のためにスポーツの1つはするかという気持ちでした。
頼りにしていた1つ上の2年生も3年進級時には休部にしていました。おとなしい方だったので、クラブの運営に自信が持てないという理由でした。本当はクラブをやめたかったのだと思います。
そこで2年生になった私がいきなりキャプテンになりました。
それから苦難の道は始まりました。5年生2名(女性1名)と2年生の2名合計4名でクラブ活動を開始しました。2名しかいないのに同期とは責任のなすりつけあいばかりをしていました。今思うと嫌々やっていたからだと思います。
5年生の先輩は実習と授業で忙しく、可能な限りの練習参加になっていました。
ですから、ますますやる気にならずに、何度もギブアップしようと思っていました。
でも、神様はいたんですね。
新入生勧誘の時にキャンパスにテーブルを用意したのですが、なんと3名の女子が申し込んでくれたのです。
しかも、向こうからです。
私なんかは、あきらめていましたので、「大学入ってから卓球はないよなー」とさえ思っていましたから。
その後、新入生歓迎コンパになんとなーく来ていた男子2名にも声をかけ、もちろん囲んで!(^^)! 勧誘に成功しました!
いきなり、5名の後輩ができました!
そこからです、やる気のなかった私と同級生は俄然やる気になったのです。
もともと、2人とも中高時代に卓球をやっていたわけではないので、温泉卓球レベルの「下手くそ」です。
コンパで盛り上げるのは私も同期も大得意でしたが、練習ををみたらがっかりして、愛想を尽かされてすぐに辞めるだろうと思っていたのですが、1年生の3人の女子から「試合がんばりましょう!」と言われた時から私のスイッチは入りました!
同期も同じ気持ちだったと思います。
嫌々だったクラブ活動から思いきった行動もとるように変わりました。
たとえば、女子も入ってきたし、気分を変えるためにユニフォームを一新しょうと思い、その当時では考えられない「ピンク色」のユニフォームを取り入れました。
人数は少ない、卓球は下手、しかも応援の声もか細いので、他の学校からはとても目立つ存在でしたので、試合にいくといつも笑われているような気がしてました。
でも、不思議なことに全然へっちゃらなんです!(^^)!
何か1つだけでもいいので、人とは違うことで1番になりたい!という思いだったからだと思います・
今思えば、自分のことではなくチームのことを1番に考えて全員で盛り上がって瞬間だったと思います。
いつの間にか、練習だけではなく、ランニングや筋トレまではじめ、クラブ活動に行くのが楽しみになっていました。
幸運はまだありました。男子は素人4名と助っ人1名でしたので、すぐにコテンパンになっていたのですが、2名の新入生女子は経験者で1名はインターハイを目指していたのであれよあれよと試合に勝ったのです。
こうなったら「このクラブを絶対盛り上げるぞ」と誓った時でもありました。もちろん、技術的にはへたくそでありましたが、練習後も体を鍛えたり、スケジュールを考えたりなど24時間卓球ずけだったと思います。
その夏に「歯科大学の総合スポーツ大会」があり、1年生の女子が個人で優勝してくれた時には涙が出そうなくらいでした。でも先輩から試合中に「打ち上げの宴会場を予約して来い」という指示がありましたので、なくなく会場を後に予約しにお店へ出向きました。
予約が終わり、会場に戻ってくると「優勝トロフィーも持った後輩がおり、先輩は肝心な時にいないんだから」と冗談交じりに言われました。
でも4月からスポーツ大会が終わる7月までの4か月という短い時間でしたが、思い出に残っています。